日本乳癌学会は日本における乳がんの研究・診療の中心となって活動している学術団体です。その日本乳癌学会が編集した患者さん向けの書籍「患者さんのための乳がん診療ガイドライン 2023年版」から,内容の一部をご紹介します。
標準治療とは何ですか。
「標準治療」とは,多くの臨床試験の結果をもとに専門家が集まって検討を行い,専門家の間で最善であるとコンセンサス(合意)の得られている治療法のことをいいます。乳がんの標準治療は一つとは限らず,状況に応じてさまざまな選択肢があります。一人ひとりの患者さんで最適な治療法は,乳がんの進行の度合い,乳がんの性質,患者さんの状態や意向などによって異なります。ご自身にとって最善の治療を受けるためには,まず自分の乳がんについて正しく理解すること,自分の乳がんに対する標準治療が何であるかを知っておくことが重要です。
標準治療とはどのような治療ですか
乳がんの治療には,外科療法(手術など),薬物療法(ホルモン療法や分子標的治療,抗がん薬など),放射線療法などがあります。実際に個々の患者さんで治療方針を決める際は,それらの中から適切な治療を組み合わせて決めていきます。乳がんに関して,基礎医学の研究や臨床試験といわれる患者さんが参加する研究が多く行われています。こうした研究の進歩により,乳がんは一人ひとりの患者さんで性質が異なり,最適な治療法もそれぞれ異なるということがわかってきました。そして,専門家が世界中の研究の成果を集めて,有効性と安全性を確認し,現時点で最善の治療として合意したものが「標準治療」です。標準治療は,一つだけとは限らず,複数の治療法が示される場合もあります。
「標準」治療というと「並みの」治療でしかないのではないかと誤解される方もおられるかもしれませんが,標準治療は「現時点で,患者さんに最も効果が期待でき,安全性も確認された,最善の治療」ということをご理解ください。
マスコミなどで「最先端の治療」とされる治療と標準治療ではどちらが良いのですか
標準治療のほうが良い治療といえます。マスコミなどで「最先端の治療」という言葉を目にすることもあると思います。より良い治療を受けたいと思われることは当然のことですが,「最先端の治療」と「最善の治療」は異なります。新しい治療方法の開発には,まずは薬の候補となる物質や仕組みを探すことから始まります。可能性がありそうなものの場合には,細胞やネズミなどの実験動物を使って実験をします。この結果から,人への応用ができそうなことがわかったら,臨床試験によって安全性と効果を確認します。最初は,少数の人を対象にスタートをし,だんだんと患者さんの数や調べる内容を増やしてどんな人に効果があるのか,副作用は許容できる範囲のものなのかなどを調べていきます(☞ Q8参照)。新聞やメディアなどで宣伝される「最先端の治療」といわれるものの中には,実験段階のもの(例えば,実際の患者さんに投与されたことがないか,ほとんどない)が多々混じっています。本当に有効であるといえるか,安全であるといえるかの評価が定まっていないことがあるので,注意が必要です。薬の開発は長い時間と,たくさんの人の関わりがあって実現するものです。「最先端」という言葉に惑わされず,担当医とよく相談し,治療を決めていきましょう。薬の開発の歴史やお話については,日本製薬工業協会ホームページの「くすりの情報Q&A」に掲載されています。歴史などの読み物だけではなく,服薬の注意事項など,知っておきたい基本的な事項もたくさん掲載されていますので,一度目を通しておくとよいでしょう。
標準治療はどのようにして決まるのですか。また,標準治療とガイドラインの関係を教えてください。
乳がんの分野では数多くの臨床試験が全世界で行われており,毎年国内外で開催される学会で多くの研究結果が報告されています。これらの最新情報をもとに専門家が集まって討議し,その時点で最善であるとコンセンサス(合意)の得られた治療法が「標準治療」となります。そして,それらの合意事項をまとめたものが「ガイドライン(治療指針)」です。日本では,日本乳癌学会が医療スタッフ向けの診療ガイドラインを作成しています。薬物療法,外科療法,放射線療法を扱った「治療編」と,疫学・予防,検診・画像診断,病理診断を扱った「疫学・診断編」の2冊が出版されています。「標準治療」は新しい治療法・より良い治療法が確立されるごとにアップデートされるため,ガイドラインも定期的に改訂されています。この『患者さんのための乳がん診療ガイドライン』も,日本乳癌学会の医療スタッフ向けガイドラインの作成に従事した専門家と看護師,薬剤師,患者さんの代表が集まり,最新情報をもとに標準治療をわかりやすく解説するために編集されたものです。
最善の治療を受けるコツは何ですか
患者さんの中には最新治療を自分自身で調べ,納得したうえで治療法を決めたいという人もいます。一方,いろいろと調べてもよくわからないし不安になるだけなので,ある程度担当医に任せて決めてほしいという方もいます。どちらが正しくて,どちらが間違いというわけではありません。大切なことは,最終的に自分で納得したうえで治療法を受けることです。そのためには,担当医とよく話し合い,お互いに納得することがとても大切です。そして,よく話し合うためには,担当医との信頼関係,良好なコミュニケーションとともに,いまの自分に対する標準治療が何であるのかを,ある程度理解しておくことも大切です(☞ Q6参照)。
参考になるサイト
日本製薬工業協会ホームページ
-くすりの情報Q&A
https://www.jpma.or.jp/about_medicine/guide/med_qa/index.html
-新薬開発ステップ
https://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/development/index.html
治療前に行われる検査について教えてください。
乳がんの治療は,乳がんの進行状況や性質などを総合的に判断し,その方針を決めていきます。そのため,乳がんの治療を始める前には,「乳がんの性質」と「乳がんの進行状況(ステージ)」や「乳房内での広がり」,「BRCA1/2 遺伝子の病的バリアントの有無」,「患者さんの全身状態」などを詳しく検査する必要があります。
乳がんの進行状況を判定するための検査
一般的に,乳房超音波検査,乳房MRI検査は「乳房内での病巣の広がりの程度や多発の有無」「反対側の乳房内の病変の有無」を調べるために,全身CT 検査は「腋えき窩かリンパ節への転移の有無と程度」「遠隔転移の有無」などを調べるために行われます。
乳がんの手術術式を選ぶときに,乳房に関しては,乳房部分切除術か,乳房全切除術かを選択する必要があります。乳房部分切除術では,がん病巣とその周囲に広がっている領域を含めて過不足なく切除することが大切です。そのため,しこりを越えた乳管内進展(乳管内で増殖している病変)がないか,ある場合にはその程度はどのくらいか,また,乳房内の離れた場所にがんを疑う異常所見がないかどうかを詳細に確認する必要があります。また,乳房部分切除術ができるかどうかの判断は,術後に残った乳腺および周囲組織で保たれる乳房の形が,患者さんにとって許容できる程度かどうかを予測して行いますが,これは切除する組織の量と切除される領域の位置によって変わってきます。
適切な手術術式を選択するためにも,乳がんの治療前検査では,乳がんの広がりや別の場所に存在する小さながんの有無を正確に診断することが最も重要です。マンモグラフィや超音波検査である程度判断することは可能ですが,さらに詳細に確認するための検査として,造影剤を用いたCT 検査やMRI 検査が行われるようになってきています。また,CT検査に比べてMRI 検査のほうが小さな病変やその広がりなどがわかりやすいことが知られており,現在では手術前に乳房MRI検査を行う施設が多くなっています。CT検査やMRI検査では「反対側の乳房内の病変の有無」も同時に診断可能です。
「腋窩リンパ節への転移の有無と程度」は,超音波検査やCT 検査,MRI検査でわかることもあります。しかし,これらの検査だけで確実にリンパ節転移をみつけられるわけではありません。そこで,転移があるかどうかわからない場合には,手術の際にセンチネルリンパ節生検(☞ Q20参照)を行って,転移の有無を確認します。もともとリンパ節転移が強く疑われる場合には,超音波を用いながらの穿せん刺し 吸引細胞診などを行い,あらかじめ腋窩リンパ節転移の有無を判定しておくことが必要です。穿刺吸引細胞診などで腋窩リンパ節転移があると診断された場合には,センチネルリンパ節生検は行いません。
「遠隔転移の有無」の検査は,やや必要性が異なります。乳がんと診断されたということで,転移の有無を心配される患者さんも多いでしょう。しかし,進行度でステージI,IIと考えられる乳がん患者さんで,治療前のPET検査や骨シンチグラフィで肺転移や骨転移などがみつかる確率はかなり低く,これらの検査で転移疑いと出ても,さらに詳しく検査してみると実際には転移ではないことも多くあります。また,検査の結論が出るまで患者さんにとっては不要な不安を引き起こし,必要のない検査を実施することで余分な費用がかかってしまうことにもなりかねません。以上のことから,ステージI,IIと考えられる乳がん患者さんでは,手術前に,骨シンチグラフィやPET検査で骨転移や全身の遠隔転移などを調べることは必ずしも勧められていません。
乳がんの性質を調べる検査
乳がんの確定診断に用いた生検標本を病理学的にさらに詳しく検査し,乳がんの性質〔悪性度,ホルモン受容体,HER2(ハーツ―)の状況など(☞Q27参照)〕を確認することで,患者さんの病状の経過(再発の危険性,再発しやすい部位や時期)や,さまざまな薬剤の効き具合を予測することができるようになってきています。これらの情報は,手術術式や,薬物療法に用いる薬剤の決定,薬物療法を行う時期(手術前か手術後か)などを含めて,治療方法を決定する際に必要となります。
BRCA1,BRCA2 遺伝学的検査
若年で乳がんと診断された患者さんや,血縁者に複数の乳がん発症者がいる患者さんは,BRCA1 ,BRCA2 遺伝子に病的バリアント(病気に関連している遺伝子の変化,☞ Q65-1参照)を有している可能性があります。これらの病的バリアントの有無は,乳房の手術方法を決める際にも重要な情報となります(☞ Q19参照)。また,BRCA1 またはBRCA2 遺伝子に病的バリアントが確認された乳がん患者さんでは,乳がんを発症した側の乳房に対する切除手術だけでなく,反対側(健側)の乳房に対するリスク低減乳房切除術も保険適用となります。そのため,可能であれば,術式決定より前にBRCA1 ,BRCA2 遺伝子の病的バリアントの有無を検査することが望ましいと考えられます。以前は,再発乳がんの治療でオラパリブ(商品名 リムパーザ)を使用できるかを判断するコンパニオン診断時の遺伝子検査にのみ保険が適用されていましたが,2020年4月からは,一定の条件を満たした乳がん患者さん*
と,すべての卵巣がん患者さんで,BブラカナリシスRACAnalysis 診断システムによるBRCA1 ,BRCA2 の遺伝子検査が保険適用となりました(☞ Q52参照)。
*条件:次のいずれかに当てはまる場合。発症が45歳以下,60歳以下のトリプルネガティブ乳がん,2個以上の原発乳がん,第3度近親者以内に乳がんまたは卵巣がんまたは膵がん発症者が1名いる,男性乳がん,HER2陰性高リスク乳がん。
患者さんのための乳がん診療ガイドライン 2023年版
納得のいく医療を受けるためには,患者さんが標準治療(=最善の治療)や診療方法について正しく理解したうえで,医師と相談し,ご自身に合った治療を選択すること(=Shared Decision Making)が重要です。本書では,乳がんの患者さんやそのご家族が,いま知りたいことについて,正しい情報をわかりやすく得られるよう,最新の情報をもとに,患者さんからの計65の質問(Q)に対する回答(A)と解説を掲載しています。

遺伝性乳がん卵巣がんを知ろう!みんなのためのガイドブック 2022年版
親・きょうだい・子どもの三世代で学びたい,遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)の診療の実際。HBOCとは,HBOCと診断されたら,日常生活での注意点,など全59クエスチョンを掲載。初めのクエスチョンから読んでも,気になるクエスチョンを選んで読んでもわかりやすいQ&A式。患者さんとご家族,血縁者の方々など,一般の方にも読みやすい平易な文章で解説している。情報サイト一覧・保険適用一覧・用語集もついて,手頃なサイズが嬉しい。
